第一次大極殿
平城宮の中心となる建物で国の重要な儀式が行われていました。
兵部省
兵士、兵器、軍事施設の管理や武官の人事を担当していた場所
平城宮跡は、平城京の大内裏の跡地です。1998年に「古都奈良の文化財」の遺産群の1つとして、世界文化遺産に登録されました。
708年に平城遷都の詔が発せられ、710年に藤原京から遷都しました。遷都した710年はまだ大内裏が完成しておらず、遷都以降も工事が続いたと伝わっています。
完成した大内裏は東西約1km、南北約1km、東の北側3分の2くらいの範囲には約300mの張り出しがあります。平城京全体の大きさは東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形に加えて、東側に東西約1.6km、南北約2.1kmの外京を持ち、「咲く花の匂ふがごとく」と詠われるほどの栄華を見せました。
しかし784年の長岡京への遷都以降、平城京は急速に荒廃。平城宮も、800年代後半には田畑になっていました。現在の地に平城宮があったと確認されたのは、幕末から明治にかけてのことです。
1998年に朱雀門と東院庭園、2010年に第一次大極殿、2022年に大極門が復元され、少しずつ当時の様子を伺える建物が増えています。敷地内には建物の位置を示す基壇や、柱を示す印もあり、平城宮の広大さを肌で感じることが可能です。
出土した遺物を鑑賞できる平城宮跡資料館や、発掘した平城宮の遺構をそのまま展示している遺構展示館も合わせて訪れてみてください。平城宮跡の広さは約122haで、USJの約2.5倍もあります。徒歩での移動は大変なので、平城宮跡を訪れる際はレンタサイクルを利用するのがおすすめです。
見どころをチェック
第一次大極殿
平城宮の中心となる建物で、天皇の即位式や外国使節との面会など、国の重要な儀式のために使われていました。
兵部省
兵部省は奈良時代の官庁の一つで、兵士、兵器、軍事施設の管理や武官の人事を担当していました。
壬生門北の広場をはさんで東側の式部省と対称の位置関係にあります。
建物の中では帳簿の管理や勤務評定などの事務をとり、外の広場では儀式などを行っていました。
式部省
奈良時代には8つの省庁があり、その一つが式部省で、文官の人事や勤務評定を管理しました。
壬生門の北の広場をはさんで、西の兵部省と対称の位置にあり、ほぼ同じような建物配置をとりました。
塀の南側は日常の事務をとる場所で、広場は勤務評定の儀式にも用いられました。
塀の北側の建物は勤務評定の書類や木簡の倉庫と考えられています。