3000人の赤松政秀の軍勢をたった300人の奇襲で撃退。黒田勘兵衛が初めて指揮をした戦いの地。
龍野城の赤松政秀が姫路城に向かって3000人の軍勢をもって進軍、姫路城に居る兵力はわずか300人と圧倒的に不利な状況でした。
そこで、姫路城の城主・小寺官兵衛(黒田勘兵衛)は青山に300人の伏兵を置き、奇襲攻撃をかけます。
赤松政秀の軍は奇襲に大混乱を起こし龍野城へと退却しました。
他の国と初めて戦ったのは16才のころといわれていますが、
23才の黒田勘兵衛が指揮を初めて任されたこの戦いの地が初陣の地として紹介されています。
- 室町時代の出来事
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官兵衛が父・職隆(もとたか)のもとを離れ、初めて指揮した青山の戦い
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龍野城の赤松政秀が姫路城を3000人の軍勢をもって進軍、姫路城の城主・小寺官兵衛(黒田勘兵衛)は青山に300人の伏兵を置き、奇襲攻撃をかけ赤松政秀の軍を撃退した