ユーザー情報

お友達情報

その他

平野神社

人気度 -/14406
評価

平野神社

人気度 -/14406 評価
  • 地図
  • 見どころ
  • マイアルバム
  • レビュー
これまでにここを訪れたユーザーはまだいません。
あなたもスタンプラリーに参加しませんか⇒

平野神社は、奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城宮の宮中(桓武天皇の父光仁天皇の御所)に祀られていました。
現在の場所には、延暦13年(794)平安遷都と同時に動かされました。
当初境内地は方八町余(平安尺で1500m四方)で、現在の京都御所とほぼ同じ大きさでしたが、時の変遷とともに現在の200m弱四方となっています。
平安時代になると祭神は急に位が上がり、貞観6年(864)年には今木皇大神が正一位(神様の位で最高位)の位を授けられました。その前年貞観5年(863)には久度大神・古開大神に正三位、比賣大神は従四位上に叙せられています。
『延喜式』によれば、全国唯一の皇太子御親祭が定められた神社です。
同式の「神祇官式・祝詞」には「皇大御神・皇大神」と称され、また「東宮坊式」には「神院」という宮中神と同様の扱いを受けております。『文徳天皇実録』仁寿元年(851)は勅使を「平野神宮」に遣わすとあります。全国でも数社に限られる「皇大御神・皇大神」「神宮」、宮中神である「神院」これらの尊称から宮中外の宮中神であったことが窺えます。また明治4年(1872)には官幣大社に列格しています。
『延喜式』の「内膳司式(ないぜんじしき)」によれば、天皇の食を饗する御竈には「平野・庭火・忌火」の三竈があり、庭火御竈(にわびのみかまど)は平時の食膳、忌火御竈(いみびのみかまど)は祭事の食膳を饗し、平野御竈(ひらののみかまど)は健康・吉祥を司る御竈であるとされています。これは平野四神の御神徳が一体となり常に宮中と関わりを持ち、天皇を守っていたということになります。
奈良時代末期から「臣籍降下」の制度が定まり、臣籍降下した源氏・平氏をはじめ、高階・大江・中原・清原・秋篠各氏ほか天皇外戚の氏神であるとされ、臣籍降下の流れを汲む公武に尊崇されました。平野神社が宮中外に祀られたのは、この臣籍降下と深く関わっているようです。『源氏物語』の光源氏は臣籍降下した一族の繁栄を願った平野大神の顕現であるとの説も一理あるようです。
江戸期には平氏嫡流の公卿、西洞院家が伝奏家を勤め、現社殿の復興をしました。
平成17年東大鳥居改修の際、『平野皇大神』の御神号額を当代西洞院文昭(にしのとういんよしあき)氏の揮毫(きごう)で新調しました。
中世期、仁徳天皇が平野の神であるという説が広く信じられていました。これは仁徳天皇が民家の烟が立たないのを見て、免税したという逸話を当社の竈神に付加した説です。
また江戸期に、国学者の伴信友が諸作『蕃神考』で、「今木神は百済王なり」との誤った説を、根拠となる資料を改竄して唱えました。今でもこの説を敷衍した説が時々出されますが、学問上では否定されています。

祭神は今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣大神です。
  • 駐車場

    東側の鳥居前(20台)
  • 交通

    JR「京都駅」 市バス[205][50]系統「衣笠校前」下車北へ徒歩3分

    京福電鉄北野線「北野白梅町」駅 北へ徒歩10分

    京阪「三条」駅 市バス[10]系統「北野白梅町」下車北へ徒歩10分 市バス[15]系統「衣笠公前」下車北へ徒歩3分

    阪急京都線「河原町」駅 市バス[205」系統衣笠公前北へ徒歩3分

見どころをチェック

みどころは登録されていません

レビュー

まだレビューは投稿されていません
レビューを投稿する

訪問ユーザー

まだこの場所に訪問したユーザーはいません

ベストスコア

まだこの場所のベストスコアはありません

関連するテーマ (2)

スポット情報提供

まだ登録されていないお勧めのスポットがあれば教えてください。

スポット名

住所
※わかるところまで

キャンセル

を評価してさらにポイントゲット
GPS:+30pt

みなさんのこのスポットの評価を募集しています。
低い
1 2 3 4 5
高い

レビューコメントでさらにポイントゲット
GPS:+100pt

このスポットの魅力を他のユーザーに教えてあげましょう。(200文字まで)
(0/200文字)
自己申告を取り消す
自己申告スタンプする
周辺検索