戊辰戦争の最期の激戦地、北の大地に夢を託した男たちが散って行った城
五稜郭とは、江戸時代末期幕府により、蝦夷地の箱館府(現在の北海道函館市)に建造された星形の城郭です。北方防備のためですが、独特の星形は、15世紀半ば以降にイタリアで見られるようになった形式です。火砲の普及とともに、それまでの城壁では攻撃を防ぎきれなくなったため、三角形の出っ張りを造り、互いに防御や攻撃をカバーできるようにしました。
五稜郭と言えば何と言っても記憶に残るのは、明治新政府と旧幕府軍が戦った戊辰戦争の、最期の激戦地箱館戦争の主戦場となったことです。
明治元年(1868年)12月15日、本土を追われた旧幕府軍は、蝦夷の地に箱館新政府を樹立「蝦夷共和国」と名付け、各国の領事や将校を招きお披露目の祝賀会を開きます。しかしその祝いもつかの間、明治2年(1869年)4月9日新政府軍は江差に上陸、圧倒的な火力と兵力の前に旧幕府軍は敗れ去り、ここに組織だった旧幕府勢力の抵抗は終わり、明治新政府が確立されました。
現在では公園として整備され、4月下旬から園内一帯に咲き誇る染井吉野の見事さは、道内でも指折りの花見の名所として知られています。