京都と大坂を結ぶ淀川舟運の要衝として栄えた船着場跡
江戸時代には八軒の船宿などが軒を並べていた事から八軒家浜と呼ばれ、京洛から淀川を下ってきた三十石船が到着した。熊野参詣の起点としてだけでなく、京都と大坂を結ぶ淀川舟運の要衝として栄えた。
その様子は多くの書物に遺されている。十返舎一九「東海道中膝栗毛」第八編では、舟を下りた弥次郎兵衛と北八が「大坂の八軒家」で上陸し、また摂津名所図会「八軒屋」、浪華百景「八軒屋夕景」には八軒屋の賑わいが描かれている。
京阪電鉄天満橋駅から土佐堀通りを挟んだ向かいにある永田屋昆布店の軒先に石碑が建っている。