隼人舞発祥の碑
九州南部の大隅隼人が7世紀末に大住に移住し、月読神社に奉納して舞い伝えられてきた。
隼人舞発祥の地として、毎年10月14日の宵宮には大住隼人舞が奉納される。
月読尊(つきよみのみこと)とその両親である伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)を祀る神社。
幾度もの戦乱による焼失と、その度に再興を繰り返してた歴史があり、
鎌倉時代には源頼朝から神馬奉納や所領寄進があったとされている。
明治維新の際には、鳥羽伏見の戦いを避けるために、一時的に石清水八幡宮のご神宝が薬師堂に安置された。
月読神社がある大住地域の多くは、平安時代末期から室町時代末ごろまで奈良興福寺の荘園だった。
明治の初めごろまでは、神宮寺として宝生山福養寺があり、奥ノ坊、新坊、中ノ坊、西ノ坊、北ノ坊、東ノ坊の六坊が建っていたが、今は全て廃寺となっている。
大住小学校の北側あたりに北ノ坊の旧跡が調査で見つかっていて、そこから月読神社がかなり広大な社であったことがうかがえる。
7世紀頃に九州南部から大住に移住してきた大隅隼人により、隼人舞がこの地で発祥。
毎年10月14日の宵宮には大住隼人舞が奉納される。