城跡に整備された公園内には天草四朗の墓石があり像が建てられています
長崎県南島原市南有馬町の海のそばの丘にある原城跡は石垣は島原城を築くために持ち去られ、わずかに残っているのみで現在公園になっています。
城跡の入り口には、原城と島原の乱についての音声付案内板があり、明応5年(1496年)に日野江城の支城(キリシタン大名有馬晴信の頃は「日暮し城」と呼ばれた)として築かれ、後に廃城、寛永14年(1637年)の島原の乱で3万7千人の一揆軍がたてこもりましたが幕府軍によって落城、全員が殺された歴史の説明がなされています。